ロマンを求めいて

金子姓の由来
金子の意味は古代、川の上流で砂金・砂鉄のとれた所や、鍛冶師・たたら師の祭神「金屋子神」(かなやごかみ)にゆかりのある地名が、その語源といわれる。
金子氏はその地名からきていて関東に多く、兼子氏を合わせると約25万の大姓。金子の地名は武蔵・相模・伊予などにあるが、金子氏の居住から発生したとみられる。
武蔵国入間郡金子村発祥の族は桓武平氏村山党、多摩郡にも金子村がある。ともに金子十郎家忠ゆかりの地。たたら師の本拠は石見国島根県能義郡とされていが、同地の物部神社主が古代大族物部氏族で金子氏を名乗っている。代々、石見国造として同地方に君臨してきた豪族。
武家の流れも生み、南北朝のとき南朝に見方して活躍した石見金子氏がある。古代の金子氏は物部氏族が主流だが、後世、関東で勢力を拡張したのは、武蔵七党の桓武平氏流村山党から出た金子氏である。
子孫の多くは、戦国期の群雄に仕えて戦つたあと、関東一円に散って土着した。家忠の五代の孫金子頼廣は伊予国愛媛県新居郷の地頭職となり慈眼寺を建立し伊予金子氏を興した。(新居浜市西の土居町・西条市永見)その子孫は、南朝に属して尽くしたのち、長曾我部氏や毛利氏の家臣となって中国各地に広がった。
武士団のしくみと苗字
武士の頭領は家の子・郎党・小武士団をひきつれて各地に移動し、戦時には専門的な戦士として戦功を競い。平時は農業にたすさわっていた。
そのさい旧地で名づけられた苗字が、そのまま新領地ても使われたり、あるいは新領地の地名を新苗字に用いるなど武士の移動にともなって苗字の移動分布や新設が盛んになり、関東武士の苗字が東北や西海・九州に多くみられる。
村山党の苗字と発祥地
大井=入間郡大井町大井
宮寺=入間市宮寺
山口=所沢市山口
仙波=川越市仙波町
難波多=富士見市南畑新田
金子=入間市木連寺
高棟王平氏八代目の平行義が勅命によって武州(埼玉・東京)・総州(千葉)の武士の棟梁(とうりょう)の武蔵守に任命され、金子武蔵守平行義として赴任した。
息子三人は平氏のまま京都にのこったため金子姓は金子武蔵守平行義一代で絶えたのである。後世に村山頼家の四男家範が養子となり村山姓を改めて
金子姓を再興したのである。

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